2009年06月01日

南アフリカ、サーファーに鮫の攻撃を警告

2009年6月1日夕方の日本のテレビで、和歌山県田辺市海岸に漂着したマッコウ鯨は、19日ぶりに沖へ移動したそうです。
鯨は傷を負っていて出血していたそうです。

南アフリカは42頭の鯨を安楽死させました。
どちらの国の対応がよいのかは別として、国が違えばその対応がかなり違うみたいです。
南アフリカの当局は、「ケープタウン沖は危険な鮫がたくさんいる。鯨が死ぬときは鮫の活動が活発になる。鮫は鯨の死骸を探しているかもしれないので注意すべきである」とサーファーに警告しました。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2009年05月31日

南アフリカ、42頭の鯨が安楽死

2009年5月31日夕方の日本のテレビで、「南アフリカのケープタウン近くで、55頭の鯨がビーチに打ち上げられ、救出できない35頭を銃で撃って安楽死させた」というニュースがありました。

南アフリカの新聞によれば、妊娠している母親と子供のゴンドウ鯨55頭ビーチに打ち上げられ、何百人ものボランティアが救出を行ったが、うまく救出できなかった。
海軍と科学者が射殺が最善の対処方法と判断し、警察官がボランティアの人たちを鯨に近づけないようにし、カメラマン写真を撮れないようにバリアをつくって、42頭を射殺したそうです。

ボランティアに人たちは、「ヘリコプターなどによる救出が試みられなかった」また「救出用のゴム製の担架があるべきなのになかった」と、救助活動が不十分だったと非難しました。
射殺された鯨は、埋められる前に病気にかかっていたかについて調査されるそうです。
ボランティアの人たちは、今回の鯨のビーチへの乗り上げは、先週に行われたフォールス湾での海軍の射撃訓練原因」と言っています。

このフォールス湾の鯨については、私が南アフリカに滞在していた、数年近く前から議論されていた内容です。
「海軍の訓練は鯨が子育てのために戻ってくる前の5月末まで」と決まっていたように思いますが、保護団体(?)は、「5月末には、鯨は子育てのために戻ってきているので、この時期には訓練をするべきではない」と言っていました。
鯨がビーチに打ち上げられる数日前、鯨が訪れる前(?)の最後の3日間の訓練が行われたそうです。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2009年05月29日

南アフリカ、救出したペンギンを海へ放鳥

2009年4月8日、ナミビアで重油流出事故があり、ペンギンの救出が行われました。
救出された約130羽は、重油で汚れた身体を洗われ、19時間かけて設備のそろった南アフリカのケープタウンに運ばれました。
薬品による治療をし、手で食事を与え、チューブで水を飲ませて回復をはかったそうです。

5月22日、回復した84羽のペンギンがケープタウンの海にリリースされたそうです。
ペンギンは帰巣本能を持っているため、約2週間かけて生まれ故郷のナミビアへ泳いで戻る予定だそうです。
約50羽のペンギンはまでリハビリを行っているそうです。

アフリカのペンギンは、この100年間で10%まで減少しているそうです。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2009年05月28日

ナミビアでペンギンが重油被害

南アフリカのケープ半島にはケープペンギンが生息していて人間と共存しています。
最近では営巣の場所も少なく、絶滅の恐れも出ているそうです。

2009年4月8日、ナミビアで重油流出事故があり、ナミビアではペンギンの救出が行われたそうです。

2000年7月、南アフリカのケープタウンのテーブル湾では、難破船から重油が漏れてロベン島などのケープペンギンが絶滅の危機にさらされました。
重油まみれのペンギンは、ボランティアの方たちによって17,500羽が保護され、身体を洗われて、遥か東方のインド洋沿いのポートエリザベスで放されました。
ケープタウンからポートエリザベスまでは776kmです。
ペンギンは帰巣本能があるために元の場所に戻ってきます。
数週間かけてペンギンが泳いで戻って来る間に、海岸の重油を取り除く作業が行われました。
ペンギンの泳ぎがあまりにも速いため、海岸の重油が取り除かれないうちに戻って来る心配もありましたが、大勢のボランテアによって重油の取り除きが行われました。

このニュース新聞に毎日掲載されました。
3羽のペンギンには発信機を取り付けられ、泳いでいる場所がわかりましたが、ケープ半島近くまで戻って来たところで発信がなくなり、棲みかのロベン島には戻って来られなかったみたいです。
発信機が重すぎたため疲労してしまったのかもしれません。
雪も舞う荒波に飲まれてしまったのかもしれません。
サメの棲む海で姿を消したのかもしれません。
新聞には、この3羽のペンギンについて、「電池が無くなって信号を発信できなくなったのでしょう。今頃、ロベン島の我家に戻って夢を見ているでしょう!」と書かれていました。

2003年8月にもテーブル湾でコンテナ船が座礁しました。
重油漏れの恐れがあり、ペンギン救出のため大勢のボランティアの方々が待機しました。
満潮時に別のコンテナ船が近づき、ヘリコプターでホースを渡して重油を抜き取ったため重油漏れは起きませんでした。

ナミビアで救出された130羽のペンギンは19時間かけてケープタウンに運ばれ、3〜4週間のリハビリ後にリリースされるそうです。
今回の救出で ナミビアのペンギンでは初めてという、バベシア"Babesia"という血液を媒介するダニ熱(訳が正しくないかもしれません)が発見さ、関係者が驚いているそうです。

南アフリカでは年間、400〜500羽の鳥の救出を行っていて、重油が鳥にあたえる影響が心配されているそうです。

写真は、2000年の南アフリカの新聞からお借りしました)

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2009年05月15日

南アフリカ、ダライ・ラマ14世を歓迎する

南アフリカ政府は今年の3月、南アフリカのヨハネスブルクでノーベル賞受賞者やハリウッドの映画スターらが集い、サッカー2010年ワールドカップ(W杯)関連の平和会議が開催される予定でしたが、南ア南フリカ政府がビザ発給を拒否し話題となりました。
5月14日の木曜日、南アフリカの新任の担当大臣(International Relations and Co-operation Minister)は、「南アフリカはダライ・ラマを歓迎する。"Foreign affairs"から"International Relations and Co-operation"に名称を変更し、外交政策を前進させる」とレポーターに言いました。

因みに、3月24日の毎日新聞には、「在南アの中国大使館が、両国の関係を損なうと南アフリカ政府に警告し、ビザ発給拒否を要求した」と書かれていました。
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2009年05月04日

南アフリカ、「真実和解委員会」とは

南アフリカの「真実和解委員会」について紹介しましたが、2001年のNHKの放送「ETV2001・戦争をどう裁くか」で紹介されたことがありますので、その内容をお借りして紹介させて頂きます。


内戦や民族紛争の中で、今も暴力が続いている。
その一方で、かつて敵対した者同士で和解しようとする取り組みが世界各地で始まっている。
南アフリカでは真実を追究することでアパルトヘイトという過去を清算しようとている

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南アフリカの「真実和解委員会」
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南アフリカ共和国では、半世紀に渡って続いた人種隔離政策(アパルトヘイト)で、人口のおよそ80%を占める黒人を、少数の白人が支配した。
住む地域を限定され、仕事や教育の機会を奪われた黒人は、貧しい生活を強いられた。
アパルトヘイト時代、白人政権の秘密警察が行った拷問や虐殺によって、多くの黒人が命を落とした。
これに対し黒人開放組織もテロを行い、両者の間でおびただしい血が流れた。

1994年、ネルソン・マンデラ氏が南アフリカ史上初の黒人大統領に就任した。
開放闘争の指導者だったネルソン・マンデラ大統領が目指したのは、すべての人種がともに生きる社会の実現だった。
それまで別の学校に通っていた黒人と白人の子どもたちは、同じ学校で学び始めた。
黒人の地位向上も図られ、白人に限られていた公務員の職場も、広く黒人にも門戸が開かれた。
マンデラ大統領が特に力を注いだのが、アパルトヘイト時代に行われた人権侵害の真相解明だった。
長年に渡って対立してきた黒人と白人の溝を埋めるには、真実を明らかにすることが重要だと考えたからだ。

1996年、マンデラ大統領の呼びかけによって、真実和解委員会が設置された。
委員長には、ノーベル平和賞を受賞し、白人たちからも信頼を集めていたデズモンド・ツツ大司教が選ばれた。

<ツツ大司教>
  過去に目を閉ざせば同じことの繰り返しです。
  過去の真実を見つめなければいけません。
  その時初めて、新しい社会を作ることが出来るのです。

委員会では、先ず被害者や遺族からの申請を受け付けた。
その数は2100件。公聴会ではツツ大司教たち委員会を前に、初めて公の場でその悲惨な体験を語った。

  <子どもを亡くした女性>
  息子は白人警官に射殺されました。よい子でしたが、もうこの世にはいません。

  <夫を亡くした女性>
  夫は警官に殺されました。憎しみは一生消えません。

委員会では、申請を元に調査を行い、加害者を特定した。
加害者の多くは、白人の警察官や軍人だが、黒人も含まれていた。

加害者は、真実を全て告白することによって恩赦が認められる。

  <告白書を提出した元秘密警察幹部の男性>
  保守的な白人家庭で育ち、自分が正しいと信じていました。
  間違っていたとは思いますが―― 当時は黒人との戦争でした。
  アパルトヘイトを批判してはいけないと思っていました。

これまで1万5千件の究明が行われた。
真実和解委員会は、このような方法で真実を明らかにし、国民の和解を進めようとしている。

1998年10月、2年半に渡った委員会の取り組みが報告書にまとめられ、ツツ大司教からマンデラ大統領に手渡された。
報告書は全5巻。3500ページにも及んだ。

  <マンデラ大統領(当時)>
  報告書は、相手への複雑な感情や苦しみを呼び起こすでしょう。
  それと引き換えに、処罰なき正義を手に入れられるのは、
  被害者にとっては受け入れがたい哲学的な問題でしょう。

南アフリカでは真実を追究することで、アパルトヘイトという過去を清算しようとしている。

(お詫び:2001年のNHKの放送「ETV2001・戦争をどう裁くか」の内容をお借りしました)

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2009年05月03日

南アフリカの「真実和解委員会」

『真実和解委員会』の聴聞会で明らかになった事実をもとに作られた、「レッド・ダスト」というBBC作成の映画をDVDで見ました。

『真実和解委員会』とは、1996年にマンデラ大統領(当時)の呼びかけによって、白人支配当時の犯罪を全てを告白すれば恩赦で無罪にするという制度である。
委員長には、ノーベル平和賞を受賞し、白人たちからも信頼を集めていたデズモンド・ツツ大司教が選ばれた。

「レッド・ダスト」は冒頭、黒人ゲリラの拷問シーンから始まり、『真実和解委員会』について説明している。
DVDの『真実和解委員会』の説明お借りして紹介させて頂きます。

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約50年間 南アフリカでは少数の白人が権力を握り
黒人は厳しい弾圧からの開放を求めて苦闘した
1990年代初頭 白人政府は 
ネルソン・マンデラを釈放 民主選挙を認めた
白人支配時の拷問や殺人の罪については 
真実を自白した者に恩赦が与えられた
市民戦争を避けるためである
そして真実和解委員会が発足
聴聞会は裁判とは逆に 
加害者はすべての真実を話せば 罪に問われなかった
聴聞会は国中を巡回して開かれ 
多くの心の古傷が開かれた…
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(お詫び:写真はDVDの再生画面を撮影させて頂きました)

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DVD・「レッド・ダスト」を見る

南アフリカ共和国では、半世紀に渡って続いた人種隔離政策(アパルトヘイト)で、人口のおよそ80%を占める黒人を、少数の白人が支配した。
アパルトヘイト時代、白人政権の秘密警察が行った拷問や虐殺によって、多くの黒人が命を落とした。
これに対し黒人開放組織もテロを行い、両者の間でおびただしい血が流れた。
1994年、ネルソン・マンデラ氏が南アフリカ史上初の黒人大統領に就任した。
マンデラ大統領が特に力を注いだのが、アパルトヘイト時代に行われた人権侵害の真相解明だった。
長年に渡って対立してきた黒人と白人の溝を埋めるには、真実を明らかにすることが重要だと考えたからだ。
1996年、マンデラ大統領の呼びかけによって、白人支配当時の犯罪を全てを告白すれば恩赦で無罪にするという『真実和解委員会』が設置された。
委員長には、ノーベル平和賞を受賞し、白人たちからも信頼を集めていたデズモンド・ツツ大司教が選ばれた。
<2001年のNHKの放送「ETV2001・戦争をどう裁くか」を参考にさせて頂きました>

『真実和解委員会』の聴聞会で明らかになった事実をもとに作られた、「レッド・ダスト」というBBC作成の映画をDVDで見ました。
インターネットのDVD紹介を見てみましたら、このように書かれていましたので、お借りして紹介させて頂きます。

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白人の支配から抜け出し、民族の和解と統一を求め始めた南アフリカ。
白人支配当時の犯罪は、『民族和解委員会』の聴聞会で、全てを告白すれば恩赦で無罪とされることとなった。
そんな中、元警官:ヘンドリックスの恩赦申請に、黒人男性:アレックスが異議を申し立てる。
政治家であるアレックスは、彼の拷問に屈しなかった事で黒人たちの英雄的な存在になっていた。
弁護士サラ(ヒラリー・スワンク)は、師である老弁護士ベンに請われ、アレックスを助けることに。
彼女はかつてこの地に住んでいたが、黒人と交際した罪でヘンドリックスと上司のムラーに逮捕された過去があった。
アレックスが異議を唱えた理由とは、共に逮捕されその後行方不明になった友人ジゼラの行方を突き止めるためであった。
しかしその行動が驚くべき真実を白日の元に晒し、一大センセーションを起すことになるのだった。
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(お詫び:写真はDVDの再生画面を撮影させて頂きました)

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2009年05月02日

DVD・「マンデラの名もなき看守」を見

南アフリカは4月22日、下院議員選挙が行われ、マンデラ氏が大統領に就任した1994年の全人種による選挙以来、連続して4期ANC(アフリカ民族会議)が勝利しました。
新聞には、マンデラ元大統領が元気な姿で家族と一緒の投票する姿が掲載されていました。
マンデラ元大統領は2009年7月18日に91歳の誕生日を迎えます。

久し振りにDVDで「マンデラの名もなき看守」(GOODBYE BAFANA)を見てみました。
インターネットのDVD紹介を見てみましたら、このように書かれていましたので、お借りして紹介させて頂きます。

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1968年アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国。
刑務所の下士官ジェームズグレゴリーは、最悪のテロリストとされるマンデラの担当に抜擢される。
マンデラの生まれ故郷の近くで育ったために彼らの言葉が分かるグレゴリーに、秘密の文書や会話を監視し報告しろと言うのだ。
任務に忠実なグレゴリーだったが、マンデラという人物に触れ、彼が自由のために払っている犠牲を知るにつれ、次第にマンデラに魅了され、彼が目指す平等な社会に憧れていく。
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(お詫び:1枚目と2枚目の写真はDVDの再生画面を撮影させて頂きました。3枚目の写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2009年04月30日

南アフリカ、フリーダム・デー

南アフリカは4月27日、フリーダム・デーで祝日でした。
4月27日は、1994年に全人種による第1回の選挙が行われた日で、その後、フリーダム・デーとなりました。
南アフリカに滞在していた時、白人の友人へ「4月27日は祝日だと聞きましたが、何という名前の休日ですか?」と聞くと、友人は「パブリック・ホリデーです」と応えました。

南アフリカには、ヒューマン・ライト・デーやユース・デーなど、かつてのアパルトヘイト時代に起きた出来事に因んだ祝日がありますが、白人の友人たちは「パブリック・ホリデー」と言っていました。
私は南アフリカ滞在時、フリーダム・デーを、「黒人の方たちが自由になった日」と思っていました。
黒人の友人たちも同じように思っていたかもしれません。
その後しばらくして、「黒人の方たちも、白人の方たちも、アパルトヘイト制度から解放されて自由になった日」と思うようになりました。

話が最初から横道にそれてしまいましたが、南アフリカの新聞によりますと、モトランテ大統領は4月27日のフリーダム・デーに、クワズール・ナタール州のダーバンで5,000人の前でフリーダム・デーの祝賀スピーチをしたそうです。
その中でモトランテ大統領は、「(今回の下院議員選挙と州会議員選挙の)投票は過去と同じように(人種により)分割されただけだ」というようなことを言い批判を浴びたみたいです。
野党のスポークスマンは、「大統領がANCの立場で声明を出すことは悲しいことだ」と述べたみたいです。
またある野党の人は、「ANCに投票する者が民主的であり、他の党に投票する者が人種差別者という考えはない。党の実績に基づいて投票した。DAがANCの3分の2以上の得票を阻止し、西ケープ州で勝利したことが物語っている」と言ったみたいです。
また違う野党の人は、「ANCが、白人だけがDAに投票したと思うなら、それは明らかに間違いである」と言ったみたいです。

南アフリカでは5月6日、ズマANC議長が大統領に選出されるはずです。
昨年の9月末、ムベキ大統領(当時)の辞任によりショート・リリーフだったモトランテ大統領の任期が終わります。
今回の選挙でANCは、「政策等の遅れはすべてムベキ前大統領の責任」という批判に終始したみたいです。
でもモトランテ大統領は約半年間大統領だったわけですから、与党ANCがこの半年間にどのような具体的な政策をしたのか気になるところです。

お詫び:南アフリカを殆ど知らない者が、このようなブログを書いて申し訳ありません。
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